こんにちは、ぼぶ爺です。我がふるさと兵庫県を含む4都府県に三度目の非常事態宣言が発令されました。コロナ禍二度目のGWは皆さんどうお過ごしなのでしょう。初日の昨日は全国的にあいにくの雨でしたが、今日の奄美地方は抜けるような青空で、僕は気持ちよく洗濯しながら40Pの商品カタログと格闘しています(^^;)
世間では最近あまりいいニュースを聞きませんが、徳之島には明るいニュースが・・島の某小学校では今年から1年生はゼロになる予定でしたが、神戸から友人一家が引っ越してきて1人ピッカピカの1年生が\(^^)/
島では学年の違う子供とも交流があるので恐らくコミュニケーション能力も醸成されますし、小学校側も予算や教員人数でゼロと1人では大違いなので大事にしてくれるでしょう。
のびのびと外で遊びたい時期にコロナで籠りっぱなしでは可愛そうだ、ということでの決断らしいですが、友人も奥さんも思い切りましたよね。僕自身はいい判断だと思います。子供同士がPCやスマホのモニター通して勉強したり遊んでるのなんて我々世代にとっては殆どSFの世界です。2年前に講演でお会いした脳科学者は、子供にスマホを持たせないだけで知能指数は平均10以上アップすると豪語してましたが、色んな面で弊害は確実に表れてくるでしょうね。
そのMINAMIちゃんが先日遅れ馳せの歓迎会の席で僕を描いてくれたのが上の絵です。中々魅力的な絵だと思いませんか?
子供の絵に強く惹かれた画家として有名なのは「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」という言葉を残したパブロ・ピカソですが、彼に限らず多くの方が何となくですが、共感できる部分があるのではないかと思います。
未だにこの命題の解には辿り着いていませんが、5歳から12歳くらいにかけて急速に大人のような立体感のある絵に変化していくことを考えると、脳の仕組みとは深い関係があるのでしょうね。人間は目も耳も左右バラバラで記憶しており、思い出す際に統合して1つの記憶として認識していると以前のブログでも書きましたが、左右を統合する能力は生まれてから5歳くらいまでに学習によって後天的に身につけるらしいです。3歳や4歳くらいの小さな子供が距離感を掴めずキャッチボールを上手にできないのもそのせいですね。視覚で世界を立体的に捉える能力も、英語の発音や蕎麦をすすったりするのと同じで生まれてから5歳くらいまでの幼年期にしか完全に身につけることはできないそうです。
立体的に捉える能力が完全でない頃の絵に魅力を感じるのが何故なのかは相変わらず謎のままですが、多くの印象派の画家達がかつて北斎や歌麿の平面的な版画に惹かれた理由も、様々な研究者によって諸説唱えられていますが、独創性を求める以外に、もしかすると何かもっと本能的な共通する理由があるのかもしれません。
いずれにしても全世界の幼い画伯達が、屋外で駆け回り、まっとうに芸術家を卒業し、それぞれの夢に向かって進んでいける当たり前の日常が戻ることを望んでやみません。