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産業革命以降に絶滅した動物は600種類以上、鳥に至っては20世紀だけでも100種近くが絶滅しています。
アマゾンの熱帯雨林では、森林伐採により生物種が一日に74種絶滅してると言われています。
今の日本で優しい風がそよぐのは夏と冬に挟まれたひと時だけで、他は異常気象の熱波と寒波が吹き荒れています。
花鳥風月と表現された美しい日本の自然は月を残して、今にも何処かに消えてしまいそうです。
地球上に生命が生まれて40億年、脊椎動物が現れて5億3000万年だそうですが、ドンドン新しく生まれては消えていく種の中で、99%が絶滅しているというんですから、人類が絶滅するのも特別な事ではないのかもしれません。
巨大隕石による気候変動が原因の恐竜の絶滅も、産業革命による気候変動が原因の人類の絶滅も地球の歴史からすれば何気ない日常なのでしょう。「地球にやさしく」というキャッチコピーも地球にとっては余計なお世話なのかもしれません。
コロナ禍で仮に14世紀のペスト大流行と同じ1億人が亡くなったとしても、今の世界人口だと僅か1.5%にも満たない。それで環境破壊が止まる事はないでしょう。
新型コロナウイルスの封じ込めに成功したとしても、人類にとって健全な地球の大気を失えば、太陽コロナの100万℃のプラズマは防ぎようがありません。地球史上6度目の大量絶滅の到来です。
野生生物から人類に感染が広がったこのコロナ禍は、多くの生物を道連れにしながら絶滅への道をひた走る人類への最後の警告なのかもしれない。否、もしかしたらもう間に合わないのかもしれない。そんな厭世観のような思いがふと頭をよぎります。
スーパーコンピューターとAIが近い将来の人類滅亡への特異点を見出したとしても、社会という巨獣は、いきなり止まることはできないでしょう。経済が破綻しないスピードで止まろうとすれば、各国の思惑という名の足枷がブレーキを踏む足を緩めます。
もちろん破綻すると困りますが、皆があまり欲張らなければ少しは制動距離が短くなるんじゃないかしら。人類の滅亡が地球にとって折り込み済みの自然現象だとしても、皆が小さなつづらを選べば人類ももう少し生き延びることができそうな気がします。欲張り婆さんに舌を切られた雀さえ絶滅が危惧される昨今、海と山しかない小さな島で、ノンビリ仕事をして釣りをして雀の声で目覚める生活も、まあまあ贅沢だと思うし、それなりに楽しいものです。
お金を稼ぐことが悪だとは全く思わないし、暴力的な環境保護活動が正義だとも思わない。中庸、「足るを知る」という事が大事だと思っています。まあ、毎月月末の支払いになったら「足ら~~ん!」と叫んでる僕が言うのもなんですが。
p.s.貼付した犬の門蓋(いんのじょうふた)に立つ観音様の碑文には「ここ天城は 空も海も人の心も限りなく美しく さながら観世音の瑠璃光界の如し されば縁により訪れたる諸人よ 早離即離のことわりをさとりて 今をより美しく過ごされることを 子を失いし母は祈願し奉る 昭和52年」とあります。このコロナ禍で大切な人を亡くされた方もたくさんいるでしょう。昨日のこの碑文を読んで、明日は自分かもしれないと考え、今日を美しく生きたいと思いました。
今日は「昭和の日」。改正祝日法では「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という日だそうです。今がまさに激動の日々ですが、復興を遂げるため積み重ねた今が未来を作ります。皆が美しい今日を重ねられれば、きっと国の将来も今より素敵になるはず。。