僕がタバコをやめてちょうど10年が過ぎました。やめた頃は確か一箱300円だったと思いますが、今や460円・・・更に先日1本3円のたばこ税増税が発表されましたね。
物の絶対的価値は何も変わりませんが確実に売価は上がっていきます。ガソリンも1.5倍、金に至ってはドル建てですが約倍です・・・物理的価値は何一つ変わらないのに。。
ふと10年前何やってたんだろうと、当時のブログを開いてみました。
~~某月某日~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神戸から東京への新幹線車中、暇なのに身体を動かすこともできないので、普段さぼっている頭を動かす…つまらない事を勝手にテーマに据えて、思いをめぐらすのだ。相手が物だったり、植物だったりした場合はいいのだが、特定の個人だったりした場合はエライ迷惑な話となる。
今回、植物でも動物でもない不特定の個人…つまり「神」について考えてみた。迷惑には慣れているだろうから、たぶん許してくれるはず。。
常々思うのは、神は人にだけ存在しているということだ。人は勝手に石ころやキツネを神として祀ったり、人の子を神の子として救世主に仕立てあげたりするが、石ころやキツネが自分を神と認識した事はないだろう。また石ころを踏んづけてる鹿が申し訳ないと思うはずもないし、キツネに食われているウサギが神に召されたと思うわけもない。。
神の不在をもっともらしく論ずるのは人だけで、その他の生物には、そんなものはじめから存在しない。
なのになぜ人が神の存在を必要とするのかというと、人間の悪い部分を神のせいにするためだ。そのせめてもの罪滅ぼしに、人の優れた功績も神のお陰ってことにしている。
一般的に「後は神頼み」はもうどうしようもない状態、つまり「お手上げ」と同じだ。手を上げるくらいなら、ついでに手を合わせとこうと考えたのかどうかは定かではないが、神にとってはいい迷惑だろう…だって、どうしようもない状態になってからお願いされるんだもの。普通だったら「オイオイ!」ってツッコミ入れたくなる所なんだけど、さすがは神。。黙って座している。黙って何もしていないからといって怒ってはいけない。さっきも言ったように、どうしようもなくなってからお願いしてんだから。。
そして当然の結果が当然に導かれるのだが、おもわしくない結果だったりすると、日頃の不信心を棚にあげて逆恨みしたり神罰って事にする…要は適応機制のあて馬ですな。それでも神は怒らず沈黙を守る…さすが人間ができている…いや神ができている。これだけ沈黙してると「神様って本当にいるの?」って言いだす人も出てきて当然だ。なんせ昭和40年代に最後に姿を見られて以来見ないから絶滅したんじゃないかと言われているニホンカワウソどころの話じゃないんだからネエ(^^;
あ、新横浜だ。まもなく東京・・・って事で、神棚から下ろしていた神様を神棚に上げて、代わりに網棚から荷物を下ろします。。。
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バカで浅はかですね。デカルトもあの世で嘆いていることでしょう。
これを見ると10年前から少しは成長しているような気がします。
但し物理的価値は確実に低下していますが。。
毎週のように会議で東京に通っていた頃の日記ですが、タバコをやめたばかりで余程時間を持て余してたのでしょうか。
そういえば最近カワウソらしい映像が撮影されたと話題になっていましたね。
もしかしたら神様もひょっこり現れるかも。。
・・・あ!10年前より安くなってるものありました。印刷代とデザイン料です(^^;)
役立たずのブログに最後までお付き合いありがとうございました。